「1970年ころ 仙台一高で闘った僕たちの軌跡 ー大衆運動の研究ー」作間信彦 著 書籍紹介

50年前の仙台一高を舞台に
制服強制と政治活動禁止のブラック校則を
吹き飛ばし、退学処分を加えられた
当事者が記す、不屈の精神と激動の記録を
一冊の本にまとめました。ぜひご一読ください!

本のご紹介

SAKUMA
SAKUMA

1970年ころにも、高校生が立ち上がって、制服強制や政治活動禁止のブラック校則を改善しようとしたんだって!その時の模様を本で紹介しているよ!

書籍の紹介

前書きのご紹介

SAKUMA
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内容を知っていただくために、前書きをぜひご覧ください。

成功した高校生の大衆運動から教訓を

 2011年、「3.11」に直面し、福島の核惨禍の張本人でありながら、被害者に対して加害責任を居直り続ける東電をはじめとする資本家階級とその利害を体現する帝国主義的政権を追及する大衆運動の甦りが必要と私は考えました

 「階級闘争の後進地」と長い間言われていた東北地方にも、実は様々な歴史的戦いがあり、それらを継承したような、私自身も参加した仙台一高闘争が50年前に勃発し5年ものあいだ帝国主義に反対し続けたのでした。

 この「大衆運動研究」の目標は、加害者の責任を追及する大衆運動を粘り強く作り上げてゆく手がかりを「成功した高校生の大衆運動」から発見し、役立つような教訓を、明らかにすることです。

闘争の前例を見ない鋭さと重み

 仙台一高闘争は、「1970年闘争」全体の中で見ると、学生運動や労働運動あるいは市民運動などと比べると小規模の高校生の運動でしたが、「5年にわたる延べ2、3千の生徒が参加した高校教育の在り方をめぐる素晴らしい内容を持つ」反帝国主義的学園闘争でした。(*)

(*)故渡会正蔵先生(仙台一高)の仙台一高闘争についての意見

「仙台一高闘争が前後約5年にわたっていることは、2千人に及ぶ生徒たちがなんらかのかかわりを持っており、それぞれの生徒が、それぞれの思いと信念で力いっぱい取り組んだことをあらわしています。その意味で単に紛争といわれるようないざこざでなく、教育の在り方をめぐって、当時の高校の教育体制と生徒たちとの闘争であったという言い方が実情をあらわしているように思います。仙台一高の歴史を書くとき、またその伝統について語るとき、この闘争は前例を見ない鋭さと重みをもっており、歴史の証言として今後も問い続けられていくことと思います。」

(『妖怪の群れ』(‘69~’72仙台一高闘争)1982年 より)

「絨毯爆撃」の大惨事が人々の心を揺さぶる

 「1970年闘争」の時期は、1年位の経験をたった1週間位で体験できたような嵐の時代でした。70年安保闘争は、幾百万の人々にとって安保体制を継続し、日本の帝国主義的復活とアジア再侵略を許すのか、それとも安保体制を労働者民衆の総力で粉砕して、世界―アジアー日本の根底的変革を実現していくのかをかけた歴史的選択の闘争でした。労働者民衆の集会やデモやストが街頭にまであふれ、社会全体が揺れ動いていました。10代の高校生も社会的存在ゆえに、無関心ではいられず、ベトナム戦争反対の意思表明を水路に、年齢の近い大学生や青年労働者の意見を求めて交流を始めたのでした。

 ベトナム侵略戦争のために米軍が、日本政府の協力のもと沖縄基地から爆撃機を飛ばしてベトナム全土を「絨毯爆撃」している無差別大量殺人の大惨劇は私たちの心を根底から揺さぶり、ベトナム戦争をやめさせるにはどうしたらいいのかを、模索していったのです。

個人の考えと行動をつなぐ組織作りの必要性

 宮城県仙台第一高等学校(以下、一高)における高校生運動は、1968年あたりから始まりました。それは少数の者同士の連携と集まりがスタートです。クラスやサークル部室で同じような考え方をする生徒や、街頭で、その意見に自信を持たせてくれる大学生や、自分の意見を表明させてくれる人たちと出会い、少しずつ広がっていったのです。さらに、自分たちで作った校内の組織には、参加者に自分は一人ではないことを自覚させ、自信を持たせ、互いに学び、目標を行動に移すバネを与えていく力がありました。個々人の性格や能力の範囲では、考えも行動でも不安定でしたので、一貫した認識と行動を保証する組織を作る必要があったのです。

過去に縛られず、判断し、決断し、行動を

 重要なことは、「何が与えられているかではなく、すでに存在しているものをいかに活かすか、使いこなすか」でした。行動せんとする者は、まずは直面する現実から出発するのです。過去は現在を規定してはいますが、完全には縛れません。行動による変革の余地はあるのです。スタートに当たって問われていたのは「今、アメリカのベトナム戦争と日本の戦争協力という状況で何を正しく判断し、それに基づいて何を決断し、実行するか」でした。

自分で考える。その上で友と一緒に問題や課題を処理していく

 「最初に井戸を掘る」者は自分たちしかいないということを知り、かつ、大学生などの先輩たちと意見交換する中から時代や状況の深刻さを認識し、行動の意味を理解し、結局、友人と一緒に闘う方向に進んでいったのです。「子は親を選べない」とよく言われますが、私たちの社会的決起に関しては、「子が親を信じ選んで生まれたのだ」と思います。「親」を信じて芽生えたみずみずしい「子」にまず必要なのは、他人の支えでありますが、人間として世を渡っていくには、自分で考え、友と一緒に問題や課題を処理していく外ないと言えるでしょう。

主体的な行為が、歴史的環境を変えた。それを教訓に

 この大衆運動を全面的に教訓化することは、困難なことですが、少数の普通の高校生たちが、選別教育と戦争反対をめぐって支配階級との間で制服廃止闘争と政治闘争を身も心も投入して展開し、その闘いの中で成長した私たち一団が、その階級闘争に与えた影響を中心に総括したのです。当時の一団と何十何百の生徒大衆の5年余りの行動などを振り返るとき、過去の出来事という思い出の側面と同時に、自分らの主体的な行為の結果、与えられた歴史的環境を能動的に変えたという事実の重みがあります。徹底した大衆行動によって新しい歴史が作られたのでした。

 一高闘争の自己解放的な5年間を時期的に区分すれば、私が現場に張り付いた1968年から1970年までを前期、その後を後期としていきます。後期の山場は、1971年秋の沖縄ストであり、高校生の『沖縄ストライキ』は全国初の貫徹でありました

制服廃止闘争勝利の衝撃と伝播

 歴史としての仙台一高闘争の突破口は、学園全体を揺るがした1969年の制服廃止闘争でした。生徒大衆の実力で体制側からもぎり取った制服廃止の衝撃は、社会的波紋を起こし、体制側は高校生の力に動転して警戒心を深める一方、生徒の実力による勝利の解放感が全県の高校生に伝播していったこともテコとなって、「70年安保闘争」に大学生や反戦青年委員会の労働者と肩を並べて大量の高校生が決起していったのでした。

卒業式粉砕闘争 儀式としての幻想的共同性を粉砕

 また、長期の学園内の大衆運動を可能にした大きな要因としての各年次の卒業式粉砕闘争を、真実の教育のあり方を求めて卒業生と在校生が一体となって継続し、「幻想的共同性」を演出する体制側の「儀式」を粉砕し続けたのです。

退学処分撤回闘争からの進撃

 さらに、一高闘争つぶしのために、私に対する高校初の政治的退学処分を加えてきた体制側―当局の反動的戦略に対して、退学処分撤回闘争という実力闘争を対置し、一年後の後期の一高闘争の山場であった71年「沖縄返還協定粉砕」ストライキ実現へと進撃する新たな大量の仲間作りに逆転的に成功していったのです。

[資料]

「妖怪の群れ」(‘69~’72仙台一高闘争) 1982年

「創造」 生徒会機関紙

目次

第一章1969年 仙台第一高等学校制服廃止闘争

 第一節 闘争の発端と発展

  第一項 胎動

  第ニ項 制服闘争宣言

  第三項 時は10月末

  第四項「叛旗」第4号

 第ニ節 闘争の爆発

  第一項 回答要求

  第ニ項 11.11生徒自主集

  第三項 その後の数日間

  第四項 11.20全学対話集会

  第五項 11.26制服制度廃止発表

  第六項 制服闘争総括

第ニ章 1970年卒業式闘争―6月安保闘争の高揚

 第一節 卒業式闘争

 第ニ節 6月安保闘争

  第一項 6.23に向かっての高揚

  第ニ項 制服闘争以降の学内状況と一高闘争の発展

  第三項 6.19三高バリケード闘争の衝撃

 第三節 三高バリケード闘争

  第一項 概要

  第ニ項 目的

  第三項 結果

  第四項 厳しい体験を糧に

 第四節 退学処分撤回闘争

  第一項 退学処分

  第ニ項 処分の本質的狙い

  第三項 実力闘争の展開

  第四項 処分撤回闘争の論理

  第五項 相互扶助

  第六項 敵の失敗

  第七項 大胆な転換

第三章 結論

 第一節 制服廃止闘争の今日的教訓

  第一項 一人でも少数でも行動を起こす意義

  第ニ項 一部の意識的集団が生徒大衆と協力する

  第三項 有効な課題の設定と実行

 第ニ節 「回り道」ともいえる処分闘争の側面

  第一項 一人の決起から始まる民主主義

  第ニ項 運動・組織と個人

  第三項 実際に勝利するための選択

  第四項 温故知新

出版の目的

 50年も前に高校生が「自由と主体性の奪還」をかかげ、その目的にむかっての努力が実を結んだ貴重な経験がありました。

 高校教育の場において真理の追究を求める生徒とそれを阻む現実との衝突の渦中で、教師集団と生徒大衆が意見を戦わせながら互いに変わっていった過程は、身震いするほどの感動的な体験でした。

 最初のスタートは私たち生徒側が「何もなかった無風状態」のところに「わが学園に自由はあるか」という問題意識を提起し制服の廃止を求めたことが契機となって、一方では教師集団が当局側と生徒の問題意識に向き合う部分に分岐し、他方では私たちが高校生運動の発展に努めていくなかで自己の主体性を奪還し確立していったのです。

 特に、「制服制度と政治活動禁止」というブラック校則を生徒の自主的な大衆運動の力と一部の教師の協力を引き出して粉砕した経験は、教育の現場で「教える側」と「教えられる側」が協力し合えるなら既成の環境を変えていける強力な主体的な力になることを示しました。教育の主役である生徒と教師が、現実の社会的矛盾と階級対立のなかで、社会と学園において人間的に生活して行くための指針をもとめて、それぞれの抱える複合的矛盾ゆえの異なる意見を衝突させながら相互に違いを理解しあいつつ、正しい方向へ統一していく努力を積み重ねて「教え会い学び合う信頼関係の萌芽」が部分的に生まれていったのです。

 あの時代の特徴は、「新たな戦前」が始まろうとしていた転換期でしたので、高校生も新たな時代における人生の指針、すなわち人間として正しく主体的に生きるための拠り所を求め活動していたのです。個人の人生は始めがあって終わりがありますが、大きく俯瞰すると誰であっても歴史と社会の矛盾と階級闘争の展開の中に存在し、私も第2次大戦の時代の遺産を受け継ぎながら人生の創造を始め、未来の時代に遺産を残して人生の創造を終えていく、と云えます。

 私たちの旗印の「主体性の奪還」とは社会的存在としての人間に本来備わっている「活動としての自由」を自発的に発揮し得ていることです。一高闘争から50年後の今となって、このブックレットを出版したことも、過去の自分たちの主張を未来に残そうという変わらぬ主体性の発揮でもあります。つまり「核惨禍の現実と侵略戦争に向けた改憲の動き、社会崩壊と自然破壊の危機」という激動の現代を人間として正しく生き抜き、未来の社会をつくっていく若者に向けた「自由な主体的活動ほど大事な生命活動はない」人生論の提供にもなっています。 

 最後に。必要な運動の創造期の最初、あるいは転換期には、新しい活動、初めての仕事にどう着手していくかを学ぶために、過去と現在の世界の経験の交流が大事です。このブックレットもその一助になれば幸いです。

あなたの信念

 万人は一人のために一人は万人のために

 理想という夢・観念は、それを旗印とする者のエネルギーを引き出す

あなたの理想

 人間主義(ヒューマニズム)と自然主義の統一的実現

あなたの目標

 核危機の時代、原発と核兵器の廃絶へと導く、より多くの人間の意識変革の追求

新シリーズ 作間信彦のことば

シリーズ 作間信彦のことばをお送りいたします。下記のリンクよりご覧ください。

 

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